2014年05月30日
これしかできない わたしには
おはようございます。
千賀です。
相田みつをさんの声が聴きたくなり、この本を開きました。たまたま開いたページに、こんな事が書いてありました。
卑屈と傲慢について
浄土真宗の開祖 親鸞聖人の有名な『歎異抄』(たんにしょう)の中で、´自分´を含めて人間の事を煩悩具足の凡夫(迷いと慾望の固まりの凡人)と言っています。
自己否定。ダメ人間の代表、それが自分だ、と、いうわけです。
と、同時に、ここ一番、という´大事な時´には、責任の所在を明確にして、キッパリ言い切り、テコでも動かぬ自信の強さを示す絶対の自己肯定。
厳しい自己否定がなければ、´傲慢´になり、絶対の自己肯定がなければ´卑屈´になる。
卑屈にも傲慢にもならないためには、自己否定、自己肯定が必要 との事でしたが・・・、
クロカンにも出て来る ´石山本願寺´の開祖と、相田みつをさんが言うのだから、きっと、そうなんだと思いました。
これでいいとは思いまセンガ これしかできない わたしには。
今日も、着工させて頂きますので、少し早起き。
最近、特におかげさまの言葉が、身にしみます。感謝、感謝でございます。
千賀です。
相田みつをさんの声が聴きたくなり、この本を開きました。たまたま開いたページに、こんな事が書いてありました。
卑屈と傲慢について
浄土真宗の開祖 親鸞聖人の有名な『歎異抄』(たんにしょう)の中で、´自分´を含めて人間の事を煩悩具足の凡夫(迷いと慾望の固まりの凡人)と言っています。
自己否定。ダメ人間の代表、それが自分だ、と、いうわけです。
と、同時に、ここ一番、という´大事な時´には、責任の所在を明確にして、キッパリ言い切り、テコでも動かぬ自信の強さを示す絶対の自己肯定。
厳しい自己否定がなければ、´傲慢´になり、絶対の自己肯定がなければ´卑屈´になる。
卑屈にも傲慢にもならないためには、自己否定、自己肯定が必要 との事でしたが・・・、
クロカンにも出て来る ´石山本願寺´の開祖と、相田みつをさんが言うのだから、きっと、そうなんだと思いました。
これでいいとは思いまセンガ これしかできない わたしには。
今日も、着工させて頂きますので、少し早起き。
最近、特におかげさまの言葉が、身にしみます。感謝、感謝でございます。
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